3ヶ月半ほど暮らしていた熊本県南小国町。その住処を発ち九州を旅していた頃、郷土玩具に夢中になった時期がありました。
円空仏のようにざっくりと切り取った手のひらサイズの木片に、木の車をつけて素朴な彩色を施した「きじ馬」や「鯛車」。その佇まいは素朴であたたかく、健気な可愛らしさがあります。
そこから少し調べてみると、木の車がついた郷土玩具が各地にあり、馬ではなく「きじ車」や「うずら車」というきじ馬との繋がりを感じるものも。これだけでも福岡、熊本、鹿児島、宮崎と分布しています。
そのものを見たい。できればつくり手にも会いたいと、旅のテーマにして各地へ赴きました。
どの玩具にも共通しているのが、つくり手がいてよかった。というくらい、人も作品の数も限定されていること。
そして、工房は個人の自宅であることが多いため、会えるかどうかは運次第なこと。
そんな中振り返ってみると、手探りではじめた旅は概ね順調で、不在でも付近を散策して戻ってみるとつくり手に会えたり、つくり手には会えなかったけれど、役場などに聞き込みをして総合運動公園の一角にある食堂から作品だけは購入することができたり、ちょっとした宝探しの気分です。
時は流れ、5年ぶりに「熊本伝統工芸館」に行く機会が訪れました。在住時には目の保養によく通っていた、熊本のものづくりを一望できるところです。
ショップで器やかごを眺めていると、なんと相方が朱色の郷土玩具を手にし、取材を受けているではありませんか。熊本NHKで九州のものづくりを紹介するコーナーの取材をしているところでした。その手にしていた玩具は「おばけの金太」。以前は、見た目からも名前からもちょっと怖いなと手が出せなかったものでしたが、職人さんに取材して生の声や所作を撮影してきたカメラマンの平澤さんの話は熱っぽく、見つめているうちに不思議と愛着が湧いてきました。
(NHK熊本WEB特集 クマガジン「知ってる?熊本の郷土玩具「おばけの金太」」より引用)
「おばけの金太」は江戸時代の終わり頃、5代目の厚賀彦七が考案し、以後、厚賀家だけに代々受け継がれてきました。今は10代目の厚賀新八郎さんと11代目の新太郎さんが制作しています。
厚賀家は江戸時代の中頃、京都から熊本に移り住んだ人形師が祖となり、以後、獅子頭や節句人形、さらに人物をそっくりにかたどる「生人形」(いきにんぎょう)などを手がけてきました。
加藤清正に仕え、熊本城築城に関わっていた足軽で、人を笑わせることがうまいことから、「おどけの金太」と呼ばれた人物がいました。この「おどけの金太」をモデルにして人形を作ったところ、人を驚かす仕掛けのおもしろさから、いつしか「おどけ」から「おばけ」と呼ばれるようになったといいます。でも、なぜ顔が赤いのか?あっかんべーをするのか?。様々な説がありますが、魔除け?縁起物?五穀豊穣?と、はっきりしたことはわからないそうです。
素朴な佇まいの背景には、繋いできたエピソードがあります。
厚賀さんの先祖は、西南戦争の際に金太の顔を作る型を命からがら持ち出して逃げ、焼失から守ったそうです。
映像の中で厚賀さんは、時代が変わるかもしれないし、人々の心も変わるかもしれない。でも、大事に大事に作り続けられたものというのは、また後世の人たちに作り続けて残していくというのが我々の与えられた使命だと思う。と語っていました。10代目の想いは、11代目の新太郎さんへと引き継がれます。熊本の文化が続いてひと安心ですね。
皆さんも、「おばけの金太」の魅力を知るべく、見つめられてみてはいかがでしょうか?
NHK熊本WEB特集 クマガジン「知ってる?熊本の郷土玩具「おばけの金太」
https://www.nhk.or.jp/kumamoto/lreport/article/000/51/
こちらの記事の最後に、番組のコーナー「九州各地の物語を映像と音声で描く映像ストーリー」に放映された、動画がアップされています。(半年ほどで削除になるとのこと)